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19代式守伊之助(じゅうきゅうだい しきもりいのすけ、1886年12月15日 - 1966年12月14日)は大相撲の立行司である。 == 経歴・人物 == 茨城県那珂郡勝田村(現・ひたちなか市)出身。本名:高橋金太郎。1900年5月場所で初土俵。 峰崎部屋→友綱部屋→立浪部屋と所属が変わっている。17代木村庄之助の弟子で、初土俵時の行司名は木村金吾。その後、3代木村玉治郎、8代木村庄三郎を襲名している。 病気療養中に生やしたという白く長いあごひげがトレードマーク(そり落とすと体調を崩す事が多かったので、後に相撲協会から公認された)で、ひげの伊之助としても親しまれ,久保田万太郎は「初場所や かの伊之助の 白き髭」と詠んだ。また甲高い声で土俵をさばいた事からカナリヤ行司との異名を取った。 1959年11月場所で引退の際、土俵上で花束を受け取り、土俵を去った。この場所は所属する立浪部屋の新大関で自らスカウトした若羽黒が初優勝した場所で優勝を決めた一番の勝ち名乗りを伊之助が挙げ、震える手で若羽黒に懸賞を授け感動を呼んだ。現役年齢では72歳まで務め、歴代立行司の中では最高齢だった(1960年1月場所に停年制実施(65歳で停年)のため、以後この記録は破られない)。 辞めていく伊之助のために博多人形師の小島与一が一尺(30cm強)大の伊之助人形をつくり、伊之助に贈った。福岡にある眞髪神社に伊之助の白い髭を奉納したのもまた話題のひとつになった。引退披露興行が蔵前国技館で行われたのは1960年1月30日だった。 1966年12月14日に逝去。自らの満80歳の誕生日の前日であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「式守伊之助 (19代)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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